細密鉛筆画を描くために

細密鉛筆画の描き方について解説しましょう。そもそも細密鉛筆画とは、単なるスケッチやデッサンとは明確に異なり、鉛筆だけで一級の絵画として成立するレベルにまで徹底的に描き込まれたものを指します。筆先を限りなく研ぎ澄ますことができる鉛筆の特性のため、その細密度は細密油彩はもちろん、場合によっては写真をも凌ぐほど。つまり細密鉛筆画は、細密芸術の極北なのです。

精神を研ぎ澄ます

それだけ細密に描き込むわけですから、当然かなりの時間を要します。たとえば四切(42.4×34.8cm)程度のサイズでも、数百時間はかけるものと覚悟しなければなりません。そのため、白紙を前にして、まずその非常に高いハードルを意識することから始めます。今の自分にできるところまで徹底的にやってやるのだと。このときに僕はいつも、細密油彩のアルファにしてオメガである15世紀の巨匠ヤン・ファン・エイクが、自画像『赤いターバンの男の肖像』に刻んだ、「私にできる限りのことを」という言葉を思い起こすよう留意しています。

人間が何かしらの行動を為す前には、それを為そうとする意志の働きがあるわけですから、当然高い意志がなければ、高い行動は為せません。逆に高い意志さえ我がものとできれば、何事を行うにせよ、きっと高い収穫を手にしやすくなるものでしょう。往年の巨匠たちの傑作を振り返り、ここまで到達してやるのだと、いやこれぐらい超えてやるのだと、半ば自己陶酔を伴いながら、まず本気で己を奮い立たせなければなりません。実はこの精神の洗練と高揚こそが、実際の描写技巧よりも、遥かに重要なことだと考えています。高い精神の決意さえものにできれば、1日といわず一瞬にして、あなたの画力は段違いに向上するでしょう。

線画は極めて慎重に

入念に計算された設計図に基いて建てられた家と、いい加減なラフだけで建てられた家があるとしたとき、あなたはどちらの家を購入したいでしょうか。もし前者を購入したいと思うなら、絵の設計図である線画は、細心の注意を払って入念に描かなければなりません。とりわけ細密鉛筆画は、描き直しがきかない一発勝負の絵画です。どれだけ線画に時間をかけても、かけすぎるということはありません。しかしだからといって、写真のトレースは絶対に行わないでください。形が極めて正確に取れているにもかかわらず、実際の画力がそのレベルに達していない場合、その不釣り合いからけたたましい臭気が放たれます。アルマーニのジャケットにジャージのズボンを合わせるぐらいなら、端から上下ジャージで揃えたほうが美しいものです。あくまで線画は自力で描きましょう。

このとき頼りにすべきは、紙面の分割法です。碁盤の目のように縦横に均等に定規で線を入れて紙面を64程度に分割し、ものの形を取る際のたよりとするのです。写真をもとにして描く場合なら、その写真にも同様に分割線を入れれば、高い精度で形が取れるでしょう。大きなものの形から確定させ、徐々に小さなものの形を取っていきます。この際、曖昧な複数の線で形を取らず、極力1本の線を確定させておくことが肝要です。なお、分割線はもちろん線画自体も、2H程度の鉛筆で極めて薄く弱く描くようにしてください。紙の表面に線の凹凸ができてしまうと、修正がきかなくなるばかりか、その部分に線の跡が残ってしまうからです。レオナルド・ダ・ヴィンチも指摘しているように、物質の縁には黒い「輪郭線」などというものは存在しません。それはあくまで人間の認識上の概念であり、実際に視覚的に存在するものではないのです。写実を徹底する細密画において、輪郭線などというものを描くのは厳禁と心得ましょう。

描写は区画ごとに一発で仕上げる

迷いのない線画が整えば、ただちに最終形態の描写に入ります。薄く徐々に描き込んでいくような真似はしてはいけません。薄く重ねて描いてしまうと、迷いのある下の描写が干渉し、表面にノイズが滲んでしまいます。細密画の表面上には僅かの迷いも存在してはいけません。パーツの一区画ごとに、最終的な仕上がりの状態になるように、一発で完全に描き込んでいきましょう。

基本的には、右利きなら左上から右下に向けて描いていくべきです。このとき、最初に描く区画ほどやや濃く描いておくことを意識しなければなりません。なぜなら鉛筆の黒鉛は繊細なため、制作中の空気の流れなどの影響を受けて、どうしても薄くなってしまうからです。また、区画と区画のつなぎ目や、筆跡と筆跡のつなぎ目が分からないよう、常に呼吸を止めながら筆を進め、極めてなめらかに処理しなければなりません。部分だけに集中すると、往々にして全体のバランスが崩れてしまうものです。常に部分と全体のバランスを確認しては計算しつつ、一筆一筆を慎重に進めましょう。

質感の表現を徹底する

描写の際、必ず徹底しなければならないのは、物質の質感の表現を明確に意識して再現するということです。色の濃さを変えるだけでは、決して質感までは表現できません。油彩などでは色を使い分けることで、「肌色だからこれは肌なのだ」という具合に人間の認識上の思い込みが促され、錯覚により質感をごまかせますが、黒しかない鉛筆画では一切ごまかしが通用しないのです。質感を徹底的に表現するためには、10Bから10Hまでの鉛筆を幅広く使い分けることが大切です。同じ色の濃さの線だとしても、2Bで薄く描いたものと、2Hで濃く描いたものとでは、質感が全く異なるのが分かるでしょうか。こうした鉛筆の種類の使い分けのほか、筆先を針のように尖らせて鋭く描いたり、筆先を広い面にして塗るように描いたり、点描を織り交ぜたり、紙の表面をわざと繊細に傷付けてから描いたりと、考えられるあらゆる工夫を凝らさなければなりません。いずれにせよ、その物質の質感そのものになりきって、質感に感情移入しながら描くと、不思議とその質感が表現できるものです。何を言っているのか自分でもよくわかりませんが、それぐらいに気持ちの面で没入する必要があるということなのでしょう。