ショパンのエチュードOp.10-1はショパン作品の最難関のひとつですが、手の大きな弾き手にとっては、一段と過酷な曲になります。事実、非常に手が大きかったホロビッツも、あれほどのヴィルトゥオーソでありながら、この悩ましい難曲を「演奏不可能」と断定して遠ざけました。Op.10-1に限らず、手が大きいと不利になる曲はごまんとあります。その理由を知るためには、大きい手とピアノ演奏の関係について理解しなければなりません。しかし、この関係については具体的にはほとんど研究がなされていません。おそらく、非常に大きい手を持つ弾き手が稀であり、当事者にしかわからない実態の証言が少ないからでしょう。幸か不幸か、僕はリストと同じく12度(ドからオクターブ上のソ)まで届く大きな手を持ち、この議題と日々向き合っています。そこで、いくつか気付いたところを証言してみましょう。

一般的には、手が大きい方がピアノ演奏では有利になると言われます。しかし、実際にはそう単純ではありません。誰でも容易に想像できるように、手が大きければ、幅の広い和音をつかみやすくなる場合があるのは事実です。指の長さを活かして、離れた鍵盤間をすばやく移動(跳躍)できる場合があるのも事実です。手の筋肉量を活かして、鍵盤を強打しやすい場合があるもの、また事実です。ただしこれらのメリットは、すべて望ましい条件下でのみ得られるものであり、常に享受できるものではありません。逆に普通の手の大きさの人よりも、和音が掴みにくい場合や、すばやく弾きにくい場合、強打しにくい場合があるのです。

そのようなデメリットを生む原因の一つは、手の大きさに比例して、指も太くなってしまうことにあります。指が太ければ、そのぶん隣の鍵盤にひっかかりやすくなってしまうのです。特に黒鍵と黒鍵の間は深刻で、僕の指は、真正面からは黒鍵と黒鍵の間に入ることができません。そのため、指を一定の角度に傾けて、針の穴に糸を通すような正確さで、そのわずかな隙間に指を挿し入れなければならないのです。和音の場合ならまだしも、高速なパッセージでそのような部分があると致命的です。前述したショパンのOp.10-1にはこうした部分が多いため、手の大きな弾き手が無傷で演奏することは至難なのです。

大きな手の抱えるさらに大きなデメリットは、指を折り畳んだり、直線に近い形にしたりしなければならない状況が多くなることです。一般的には、手の甲から指先までがアーチのように丸くなる形が理想的とされ、実際、力学的にはそのような形での打鍵時に力が効率的に鍵盤に伝わるはずです。しかし大きな手は指が長く、指どうしの長さの差も大きいので、その差を埋めるためにしばしば、指の付け根の関節を凹ませながら指を折り畳んだり、逆にまっすぐに伸ばしたりしながら打鍵しなければなりません。とりわけ、白鍵上で指が連続移動する際には、長い指が黒鍵にひっかからないように、指を極端に縮こまらせなければなりません。中でも問題になるのが、短い小指が入ってくる運指です。上の写真はショパンのOp.10-1の演奏中のもので、一連のアルペジオとして、右手の小指で白鍵を弾いたあとに、長い薬指でまた白鍵を弾こうとしている状況ですが、小指が直線的に伸びている一方、薬指の付け根の関節が凹んでいるのがわかるでしょう。このような「まむし指」に近い形では、打鍵の速さと強さが不十分になってしまいますが、物理的に、こうするほかありません。

巨大な手の持ち主であるラフマニノフやホロビッツも、このように指を折り畳んだり伸ばしたりしてピアノを弾きました。彼らがこのスタイルを自ら望んだわけではなく、大きな手のせいで、物理的にそうせざるをえなかったのです。そしてその結果、少なくない曲で影ながら、過剰とも言える困難に直面していたはずなのです。