命より尊いもの

中国の友人から、史記全巻をいただきました。中国で権威のある中華書局のもので、詳細な註がついていてすばらしい。翻訳本は持っていましたが、ずっと原文の全巻が欲しかったので、本当に嬉しくて飛び上がって喜んだほど。これはちゃんと読まなければ、ばちが当たるぞ……。

ちなみに、史記のなかで最も好きな話は、第61巻「伯夷列伝」です。孤竹国の王子であるものの、王位争いを望まず国外へ逃れてしまった、伯夷と叔斉という兄弟の話。二人は周の文王の徳が高いと聞いて周に向かいますが、到着するとすでに文王は亡くなっており、息子の武王が、暴君で知られる主君の殷の紂王を滅ぼそうとしているところでした。伯夷と叔斉は、「父親が亡くなって間もないのに戦をするのは孝ではない、臣下が主君を殺すのは仁ではない」と諫めます。しかし忠言虚しく武王は紂王を滅ぼし、周の天下となるのでした。仁義に篤い伯夷と叔斉は、仁義に背いた周の粟は食べないと心に誓い、首陽山という山に籠って山菜を食べて命をつなぎますが、最後には飢えて死んでしまいます――「暴によって暴にかわり、その非に気づかない」との悲歌を残しながら。

彼等には、命よりも尊い、守るべき美学というものがありました。こうした美学を持ちながら、命に代えてもそれを貫こうとできる魂の、なんと美しいことでしょうか。正直なところ、僕にとっては、その美学は何であっても構いません。社会に対する献身でもいい、誰かに対する愛でもいいでしょう。ただ何であれ、自分の命以上に価値のある何かを見出そうとするその大きな世界観に、どうしようもなく共鳴するのです。それでも毎日、自分を問い詰めずにはいられません。おまえに命がけで貫ける美学はほんとうにあるのかと。ほんとうに目の前に死が差し迫ったそのときでさえ、後ずさりすることなく白刃をふるって立ち向かい続ける勇気はあるのかと。